神様のご計画

記事は、五井先生ご帰神後に降ろされた原稿をもとに掲載しています。

私の祈り(3)

     (前日からの続き)
人間一人一人
みんなが
持っている純なこころ
素直に素直に絶対者を
おもうこころ
そのこころを引き出して
光らせて
それでもって
世界を平和にしてゆく
だから
五井先生が
偉いわけじゃないんです
昌美(現・会長)が偉いわけじゃないんです
みんな等しい
神様のいのち
それでもって
みんなの光をあつめて
よびおこして
一人一人が
先頭に立って
この世界を平和にしてゆきましょうと
こういうんですよ

そりゃあそのために
いろんなお役目の人がいます
村田さん(故・長老導師)のように霊界を訪ねて
肉体を持ってる人間が
一番こわいと思ってる
その死の本当の意味を
向こうの人たちに会ってね
それを記して
つまり
死は真実の永生
往生
むこうへ生まれにゆくその出発点なんだ
ということね
それを知らせる
そういう人もいます
これは村田さん以外には
なかなか出来ないんです
あの人が偉いというわけじゃなく
あの人は徹底して
神様からこのことを知らせる
霊界ってものを知らせる役目を貰ってるんです
だからこれは
村田さんの領分
でまた
斉藤さん(故・長老導師)みたいに
全国あちこちとびまわってね
世界平和の祈りを伝道して
五井先生のことを伝えて
そして各地のお浄めした
そういう役目の人もいるんです

この人たちは目立ってますけど
たとえ目立たなくても
こんなふうに
みんな役目が与えられていて
そして神様のみこころのなかに
スッキリと入りましょうというふうに
なっている
その各々役目が天命ですよね
       (つづく)

私の祈り(2)

   (前日からの続き)
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様 ありがとうございます
守護神様 ありがとうございます
という祈り言を
いただいた
この祈りは大調和の祈り
そして
神様の大愛のなかに
すっぽりと入る祈り
神様の
元の元に
帰ってゆく祈りなんです

現在
どんな宗派のなかにいる人でも
祈られていい祈りなんです
今まで
こういう
祈りはありませんでした
狂言に宗論ってのが
ありますよね
坊さん同志が
南無阿弥陀仏
南無妙法蓮華経
いいあいっこして
ゆずらないというやつ

みんな
世界がこれなんですね


私の祈りは
これは
そのままでいいから
南無阿弥陀仏
世界人類が平和でありますように
南無妙法蓮華経
世界人類が平和でありますように
ってやっていただいていい祈りなんです
己れ尊しじゃないんです
祈りによる世界平和運動ってのは
そういうことです
       (つづく)

私の祈り(1)

人間というものが
どんなに神様に
愛されているか
私は
ようく知ってるんです
私だけじゃない
釈迦や
キリストや
マホメット
これまでに
地上におりてきた
聖者たちも
よく知っていました
彼らは
みんな
神様の愛を
真理を
説きつづけたのですが
国家や
時代というものが
光そのものの
教えに
枠を
はめて
しまったのです

聖者たちは
かがやいているのに
人間の想念が
自分勝手なおもいが
その
光に
顔を
そむけてしまったのです
その結果
自分の教えだけが
真理だ
真実だ
これを信じなければ
地獄におちる
などという
馬鹿気たことをいいはじめて
己れ尊しの
姿勢に
終始してしまい
自分が
自分が

救われようのない
想念の渦まきを
こしらえてしまった
安心を与えることをおいて
これを信じなければ
大変なことになるぞ
という
恐怖を
与えてしまっているのです
これでは
一人として
人間は救われて
ゆきません

神様は
公平な
平等な
愛にみちた
方なんですよ
人間は
神からきたいのち
神の似姿なんだから
おどかしや
何かで
神様が迫るわけがない
それでもう
バラバラになっている
人間一人一人の心を
すっきりと
神様にむけさせる
そういう役目を持って
私が生まれてきたんです
   (つづく)

自分のいのちに目覚める

祈ってゆく内に
自分がなくなるって
ことがありますが
これは
無我になって
神様と一体になることであって
決して
その人がその人らしさを失ったという
ことではないんです

よく 
世間では
法悦境っていいますよね
こういう言葉をきくと
何かしら
浮世ばなれした
世界のように
感じちゃう人が
いるんだけれど
そうじゃないんです
たしかに
そのときは
何ともいえない
いい気持ちになりますが
それは
ぱーっと
こう  
我々のいのちを
あたらしくされる
光を
神様からいただいてる
こういうことでしてね

何のために
いただくかっていえば
それぞれの
職場で
学校で
家庭で
生き生きと
はたらくためなんですね
だから
決して
浮世ばなれじゃない
浮世ひっつきなんです

神様と一体になって
ああ
自分のいのちは
こころは
おもいは
自分のすべては
神様から
いただいてるんだな
神様からきてるんだな
神様ありがとうございます
守護霊様
守護神様
ありがとうございます
っておもうのは
おもえるのは
これはいのちの充実ですよね

第一巻(神のこころ)でもいったけれど
だから
無ってのは
虚無ってことじゃない
いのちが充実して
いのちがよろこんでいる
状態を
指すんです
それで
さあ頑張ろう
ですよ
みんなを
現実生活に返してゆくわけ
私は絶対に
みんなを
神がかりにはしないんです
生活ってものが
ちゃんとやってゆけなきゃね
話にならないもの

けれど
そのままに
神様の言葉が
きける人
受けられる人
こういう人が沢山
でてこないと
これからの地球は
大変なんです
そういう人を一人でも
多くふやしたいわけ
何も
特別なことじゃないんです
みんなが
スッキリと
自分のいのちに
目覚めたら
一人のこらず
こうなるんですよ
そうでしょう
どうぞ一人でも多くの人が
人間の真性に深く目覚めて下さい

世界人類が平和でありますように
           昭和62年2月14日 朝

世界平和の祈りは 朗らかになるためのエレベーター

祈って
祈って
祈り抜いて
ゆくと
ただ
朗らかになって
自分の
いのちと
対面することができます

世界平和の祈りは
人間が
朗らかに
なるための
エレベーターなんです
      昭和62年2月14日 朝

五井昌久って人は

私の教えは
余分なもの
余計なものを
みんなとっちゃって
とにかく
神様の愛につないでゆく
人間の真実のすがた
光そのものの
すがたを
しらせて
すっきりと
神様のいのちにつないでゆく
そういう教えです
理くつじゃあ
ないんです

神様が
我々を
愛して下さっていることも
守護霊さんが
不眠不休で
みなさん
一人一人を
守って下さってることも
みんな
これは事実なんです
五井昌久って人は
この事実を
そのままに
つたえにきた
人なんです

無限のひろがりを持っているのが 人間

私は
宇宙なんだ
神様の愛が
私を生かして下さって
いるんだ
とおもうことが
大切ですね

想念というものに
支配されて
それは
人間が
勝手につくっちゃったものですけれど
我々は
何でもかんでも
ちっちゃくちっちゃく
物をこじんまりとまとめてみる
そういうくせがついちゃった
全部
こう枠に入れてね
ところが
人間というものは
いつも
私がいうように
神様の
分生命
分霊だから
神様からずっと
分かれてきた生命で
天が神様ですからね
そんなにちっちゃく
まとまってはいられない
存在なんです

この地球上の
とおもえば
我々が意識する
しないにかかわらず
我々自身が
地球上いっぱいに
光となって
ひろがってゆくわけ
宇宙
とおもえば
宇宙全体
銀河系だけじゃない
もう無限の宇宙ですよね
そこまで
ひろがっちゃう
そういう
とてつもなく
すごいひろがりを
持っているのが
人間なんです

それで
神様って
よぶと
あるいは
神様って
おもうとですね
神様ってのは
我々の親ですよ
ふるさとですからね
すっと
ふるさとへ帰って
何ともいい心持ちに
なってくるという
こういうわけなんです


神の似姿である人間にはね
そのまま
宇宙も
神様も
永遠のいのちのながれも
みんなみんな
内蔵されてるわけですよ
小宇宙
小天地ですよね

人間ってのは
この肉体の
奥の奥に
神界につながる
神様につながる
天地を
持っているわけです

ところが
これをはばむものがある
それが
さっきいいました
想念ですよね
肉体人間の我
とかね

この想念が
このままあったんじゃあ
なかなか
神様にスッキリと
いのちが
とどいてゆかない
そこでですね
こら想念
お前そこどけなんて
五井先生は
そんな乱暴な
口はきかないのね
そうかそうか
お前の気持ちもよくわかるって
やるんですよ
何でやるかというと
消えてゆく姿で
世界平和の祈り
これでやるんです

想念が
人間のなかで
あばれ出した
苦しい
先生どうしましょう
ああそうだ
消えてゆく姿だ
これでまた
浄まるんだ
守護霊様
守護神様
神様ありがとうございます
世界人類が平和でありますようにって
やるとですね
あばれてた想念もみんな
幽界まで浄めるんです

世界平和の祈りは
幽界幽体を
きよめて
すっかりきれいにして
それでもって
スッキリと神様につなぐ  
小宇宙と大宇宙を握手させるって
こういうお祈りなんです

ですから
まず
私は宇宙なんだと
うんと自分をひろがらせて
神様ありがとうございますって
やってればですね
じねんほうにに
すべてのいのちと
とけあって
ゆくんですよ
よございますか
それでは
どうも
ありがとうございました
        昭和62年2月14日 朝